ONLY ONE NAME

2021/08/01 12:00

このコーナーは、Boojilが描いたネームアートをお贈りした方に、直接会いに行き
名前の由来やその人の背景をご紹介するインタビュー連載です。

今回は、東京パラリンピック 陸上競技で金メダルを目指す  「佐藤 友祈 (サトウ トモキ)」さんを訪ねた。

佐藤友祈さんは、現在31歳。
ちょうど10年前の21歳の時に脊髄炎が原因で麻痺により、両足と左手が動かなくなり
約1年半の入院を経て、車椅子生活を送ることになった。

これから人生を謳歌していくであろう、20代のスタートに突然の病に倒れ、自由に歩くことが叶わなくなった時としたら、おそらく誰もが絶望するだろう。

自分に置き換えて考えてみると、きっと自分を見失ってしまうと思う。
病室で途方に暮れていた時、友祈さんに転機が訪れる。
テレビで中継されていた、ロンドンパラリンピックで、同じく足に障がいを持つ選手が陸上競技で活躍している姿を見た。
車椅子に乗り、高速で走り抜ける勇ましい姿に感銘を受けたそう。

友祈さんはその映像を見るまで、障がい者=”弱い立場にある人”、という印象を持っていた。
しかし、その印象が180度変わり、障がい者でも活躍の場があると信じることができた。

その瞬間、友祈さんから湧き出たのは
「僕は、次のパラリンピックに出場して、金メダルを獲得する!」という言葉だった。

両足も左手も動かない。陸上経験も一切ない。
そんな彼からどうやったら、この言葉が出るのだろう。

わたしが尋ねると
「僕は誰よりも、僕自身の可能性を信じているからです。」力強い眼差しで、そう答えてくれた。
その言葉を聞いて、わたしは一瞬、友祈さんの胸の内側に、
両手でやっと包み込めるくらい大きな、見たこともない綺麗な色のガラスの玉が見えたような気がした。

こんなに美しい言葉を、わたしは聴いたことがない。
偽りのない、純粋な自分を心から信じる力。胸が熱くなり、目頭にじわっと涙が溜まった。
心が震える瞬間だった。

友祈さんはその言葉通りに、努力を惜しまず練習に励み、目標を叶えていく。

パラリンピック3大会連続出場の松永仁志氏に師事。そこからトレーニングを重ね、
2015年、世界選手権で400mを初制覇。翌年の2016年、リオパラリンピックで銀メダルを獲得する。
それだけに留まらず、2017年世界パラ陸上競技選手権大会では、両種目で金メダルに輝き、
2019年世界パラ陸上競技選手権大会では2冠を達成、今年2021年、東京パラリンピック日本代表に見事内定した。

開催を目前としている東京パラリンピック。
「東京パラリンピックでは、世界記録で金メダルを獲得します!」

友祈さんはいつも自分の目標に対して”します”、”する”などの、断言で締めくくる。
また、公言することで自分のモチベーションや、周りのエネルギーを高めているように感じた。

しかしながら、そんな友祈さんにも日々のトレーニングに励みながら、心が折れそうな瞬間もあったようだ。

本来なら誰もが開催を待ちわびるはずのパラリンピックに対し、昨年からのコロナウイルスの影響もあり開催に反対をする方が増えている。開催するのか、しないのか、どうなるかわからない状況の中での日々のトレーニングは、想像するに精神的に蝕まれることもあるだろう。

それでも、友祈さんは毎日自分のゴールに向かって走っている。
大空の下、まっすぐ前だけを向いて、全身の力を振り絞り、車輪を漕ぎ続ける。
その姿を間近で見ていたら、簡単に中止を求めることは、わたしにはできないと思った。

目の前に、直向きに努力を積み重ねている人がいる。精一杯、力を振り絞って…。
ただひたすらに、みんなに夢を届けたいと願っている。
”金メダルを獲得する。” それが誰かの勇気に変わるはず。

「できないところから、できることを考える。」

障がいを持った立場にある人だからこそ行き着いた、友祈さんのその言葉は
共に、この時代を生きるみなさんに届けたいと思えるメッセージだった。


緊急事態宣言で、飲食店には営業時間の制限が促され、エンタメ業界もイベントも中止、映画館も閉館。
子供達が楽しみにしていた甲子園や運動会、遠足も、中止、中止、中止。
充分な補償も行き届かぬ状況で、どう行動したらよいのか。

友祈さんは言う
「誰かに頼るのではなく、ちゃんと自分で考えて、みんなが協力すれば、できることはまだまだあるはず。
イベントを開催したければ、PCR検査を参加者全員がする努力もできるし、検温も事前に数週間ずっとチェックしていれば
すべてを中止にする必要なんて、ないと思うんです。」

「僕は両足も左手も動かすことができない。そこからできることを考える。
自分の可能性を信じて、一生懸命考えて、どうにか見つけ出すんです。」

まさに、目からウロコ。
今の日本は、周りの目や評価を気にしすぎている人がとても多いと思う。
列からはみ出すことは、恐ろしい。酷評を受けるかもしれない。
でもこの現代は、自分で考えに考え抜いた答えが、"正解”になるんだと思う。

中止することも、開催することも、きっとどちらも誰かのためになる。
パラリンピックだけでなく、それはすべてのことに言えること。

自分本位ではなく、誰かを想いやった先の答えなら、否定するのではなく、それぞれを認め合うことも必要だ。
だってわたしたちはひとり、ひとり違う人間なのだから。

友祈さんから、一生寄り添っていきたい、大切な言葉をたくさん受け取った。
そんな友祈さんに用意していた、ネームアートをプレゼントした。

「友祈(ともき)」という名前は、プロテスタントのクリスチャンである両親がつけてくれた名前だそう。
”友達のために祈れる子、そして友達にも祈ってもらえるような子になってほしい。”という想いが込められているんだとか。

名前には珍しい、”祈”という字について伺うと
「健常者だった頃は、特に思い入れがある名前だと思っていなかったけれど、障がいをもって、パラリンピックの選手として
メダル獲得を目指す自分になったことで、本当の意味で「友祈」になれたんだと思う。」と語ってくれた。

”友”という字には、金メダルを手にした友祈さん。そして、友達や家族、観客に囲まれ応援されている様子を描いた。

”祈”という字には、太陽の下トレーニングに励むレーサー(競技用車椅子)に乗っている姿と、
願いが叶うよう流星、向き合う奥様と、手を合わせ祈る、幼少期の友祈さんを描いた。


箱から絵を取り出した瞬間、友祈さんの顔がほころんび、笑顔になった。
トレーニング中はずっと真剣な面持ちで、キリッとした表情から一変。
とにかく喜んでくださったのが伝わり、心から安心することができた。
いつもこの瞬間は緊張する。

記録を伸ばし続けることはきっと容易なことじゃない。
自分と戦い続ける中で、みんなが応援していることがこの絵を通して、少しでも伝わったら嬉しい。

どんな時も、スポーツに真剣に取り組む、アスリートはわたしたちに勇気を与えてくれる。
どんな時代も、それだけは揺るがない事実であると信じている。

友祈さんに出会って、”祈”という言葉の力を強く感じることができた。
もし、自分に大きな壁を乗り越えなければならないような事態が起きたとしても、きっと乗り越えられる。
友祈さんの言葉は、わたしに”自分を信じる力”をくれた。

友祈さんが無事、舞台で最善を尽くすことができるよう、心から祈っている。

●プロフィール 佐藤友祈  https://www.prierone.info/

パラ陸上競技 静岡県藤枝市出身、岡山市在住。
2010年、脊髄炎が原因で車いす生活に。2012年、ロンドンパラリンピックをテレビで見たことをきっかけに、陸上競技を始める。その後、拠点を出身の静岡から岡山に移し、2014年5月から、パラリンピック3大会連続出場の松永仁志に師事。2015年の世界選手権で400m(T52)初制覇。2016年のリオパラリンピックで2個の銀メダル(400m、1500m/T52)を獲得。2017年世界パラ陸上競技選手権大会では、両種目で金メダルに輝き、見事リオの雪辱を果たした。さらに2018年7月には両種目で世界新記録を樹立。2019年世界パラ陸上競技選手権大会では2冠を達成し、東京パラリンピック日本代表に内定。本番では世界記録で金メダル獲得を目指す。2021年1月にプロ転向を発表。個人で活動するチーム名は、prierONE(プリエ・ワン)。
株式会社モリサワに所属。

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