ONLY ONE NAME

2021/04/01 12:00


このコーナーは、Boojilが描いたネームアートをお贈りした方に、直接会いに行き
名前の由来やその人の背景をご紹介するインタビュー連載です。

今回の取材相手は、芦沢宇一(あしざわういち)さん、92歳。

宇一さんは、実はわたし(Boojil)の祖父である。
つい4年前の88歳になるまで、この商店街の路地でカラオケスナックを夫婦で営んできた。
65歳で開業したスナックは、20年以上この街で愛され、地域の方の交流の場ともなっていた。

ダジャレ好きのマスターと、酒好きのママ。お客さんも年配の方ばかり。
マスターはいつもお客さんに「カラオケしながら、棺桶はいろう」と笑顔で冗談を言っていた。

65歳であれば、退職する方も出てくるような年齢で、老後を楽しむ方も少なくない。
そんな中、なぜ祖父はカラオケスナックを始めたのだろうか。


昭和3年、1928年生まれ。
両親に名付けられた名前の由来を尋ねると、

「宇一」という名前は、「宇宙一の馬鹿」と言う意味だ。と、笑いながら冗談を言いつつも
この名前は「宇垣一成(うがき かずしげ)」という陸軍大将からもらった名前だと、しっかりとした声で教えてくれた。
活躍した軍人だそうで、その時代の歴史が汲み取れる、名付けと感じた。

9人兄弟の末っ子で、7歳の時に病気で両親を亡くしてからは、一番上のお兄さんに育ててもらったという。
戦争を経験したものの、疎開していて、運良く命だけは助かった。
幼い頃の記憶については「あの頃は食べ物がなかった。」と話し、さつまいもを買いにわざわざ新潟まで
汽車で出かけた話などを聞いた。

きっと大人になるまで、数えきれぬほどの辛い体験をしたであろう祖父から、伺う話の中には戦争体験の話題がほとんど出てこない。
思い出すときっと辛いのだろう。幼い頃から社会人になるまでの思い出については、そのほとんどがすっぽり抜けてしまっていた。

スナックを営むずっと前、祖父はオーダーメイドスーツの仕立て屋を営んでいた。
戦後、仕事のなかった時代に知人に紹介してもらい、務めることになったテーラーで6年修行した後に独立。

当時、近所に暮らしていた豆腐屋の末娘である「酉子(とりこ」さんを紹介され、お付き合いをした後、結婚。
宇一、24歳、酉子、18歳。翌年、長女が産まれた。続いて、長男、次男と、全部で3人のこどもに恵まれた。

「おじいちゃんはね、手先が器用だったし、子煩悩だったから、こどものオムツは全部自分で縫ったんだ。」

その時代には珍しい、育児に積極的な面倒見の良いお父さんだった様子。
仕事が休みの日、子守りも頼まれた時は引き受けて、乳飲み子を抱っこして、連れて歩いたことも多かったそう。
そういえばわたしも幼かった頃、たくさん可愛がってもらった記憶がある。

わたしが幼かった頃の、かすかな記憶を辿ると、祖父が仕立て屋をしていた頃の室内を思い出す。
アイロンのかかったシワのない美しいスーツ、棚に綺麗に納められたスーツ生地。
「ダダダダダッ」部屋に響く、重厚な工業用ミシンの音。
針に糸を通す時の眼を細める祖父の表情と、あの空間がとても好きだった。

「おじいちゃんって、かっこいいなぁ‥」心の中で、いつもそう感じていた。

孫にとってはかっこいい祖父でも、
祖母からすると、とても頑固で亭主関白な部分もあったというし
ずっと仕事と生活を共にしてきた祖母とは、事あるごとに口喧嘩をしていたらしい。

夫婦揃って大酒飲みで、得に祖母は、ビールであれば10杯くらい続けて飲めるほど酒が好きで
酔っ払うと、飲み屋で大げんかに発展したこともあったそうだ。

そんなぶつかり合う二人ではあったけれど、祖父が65歳を迎え転機が訪れる。

第二の人生は自分たちが好きなことを仕事をしようと、歌をうたうことが好きだった祖父母は
その歳でカラオケスナックを営むことを決意した。

自宅の一階部分を改装し、防音設備を整え、カラオケセットを導入しスタートした
「スナック あし」は、祖父の苗字「芦沢(あしざわ)」から名付けた。

高齢になってもお酒を愛する、祖母と一緒に瓶ビールで乾杯し、他愛もないおしゃべりをして
「最後に一曲。」と、祖父母のデュエットを聴く時間はとても幸福だった。

祖父が65歳でオープンしてから20年以上、夫婦で二人三脚で続けてきた「スナックあし」
数え切れないほど思い出がある。わたしが同じ世代の人より演歌を知っているのも祖父母の店あってこそ。

88歳、米寿を迎えた年に、お店をたたんだ。
もう60年以上、ずっと働き続けた二人もようやく余生を楽しもうとしたのだろう。

しかし、その2年後、祖母に膵臓癌が見つかった。
「余命半年くらいでしょう。」医者の診断結果は厳しかった。
ステージ4の末期癌。誰もが想像していなかったことで、家族全員があわてふためいた。

あの、ばあちゃんが?飲み屋でビールをガバガバ飲んで、帰らないって怒ってるばあちゃんが?
じいちゃんより先に死んじゃうの?

見舞いに行った時の祖母は、いつものような元気はすっかりなくしてやせ細ってしまっていた。
仕事を辞めて、これからってときだったのに、大好きなビールも呑めないし、辛かっただろうと思う。

膵臓癌はあっという間に病状が重くなり、祖母はわたしが次男を出産した数日後の2019年4月、息を引き取った。
桜の花びらが風で舞っていて、きっとばあちゃんは空の上でビールでも飲んで笑っているんじゃないかなと思った。

産後10日で祖母のお通夜があった。
すっかり肩を落とした祖父もそこにいて、送り出すときは家族みんなで泣いた。

「喧嘩できるうちが華だ。」本当にそう思う。

祖母が亡くなってから1年以上が経過しても、祖父はとても寂しいようで祖母との思い出話をすると泣いてしまう。

少しでも元気になってほしいから、わたしは祖父の名前を作品にすることにした。


「宇一」の「宇」には、星と虹のイラストを。天国にいる祖母とこの世を生きる祖父の思いが届くように
ふたりの架け橋となるように願いを込めて。そして、祖父母が大好きなカラオケを楽しんでいる様子を描いた。
スナックのマスターとママだった祖父は、いつでもおしゃれを楽しんでいた。
祖母の服は、大好きだった赤いワンピースにした。

「一」には燦々と輝く太陽、元気になってほしい一心で、ニコニコと微笑む太陽に仕上げた。
祖父の名前の由来にもあった陸軍大将は日の丸を背負った人であったと思うので、そのあたりも意識した。

祖父が部屋に飾られたこの絵を見て、少しでも笑顔になってくれたら嬉しい。

家族に絵を贈ったのは、何年ぶりだろう。
「おばあちゃん、よく似ているねえ」嬉しそうな顔をして、祖父はしばらく絵を眺めていた。

天国にいる祖母が、生きているうちに絵をプレゼントすればよかったなぁ…
話ができるうちに会にいく。昔の思い出に触れる。

92歳、まだひとりで歩けることが素晴らしいが、さっき話したことが5分後には忘れて、繰り返されることもある。
まだまだくだらないダジャレを教えて欲しいし、笑った顔は何度も見たい。

新しい命が生まれれば、誰かがこの世を去っていく。

「また、会いに来るからね。」玄関で手を振り挨拶をしながら、
わたしはこれが最後にならないようにしようと自分の中で約束をして、祖父の家を出た。

贈った作品を眺めている間だけでも、祖父が笑顔になってくれたらと願っている。
文章:Boojil
写真:神ノ川智早
取材場所:荏原町商店街

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